情報誌

4 月号/ 2013

インタビュー「三ツ山一志さん」

13.03.27

ヨコハマ・アートナビ 4APRIL 2013

ヨコハマ・アートナビ特別インタビュー

 

三ツ山一志

KAZUSHI MITSUYAMA

 

 

Profile

彫刻家。造形教育家。横浜美術館の「子どものアトリエ」創設に携わる。横浜市民ギャラリーおよび横浜市民ギャラリーあざみ野館長。

 

 

今回のヨコハマ・アートナビのインタビューは「アートと子ども」をテーマにした特別版です。

横浜美術館「子どものアトリエ」、横浜市民ギャラリーあざみ野「子どものためのプログラム」、ウェブサイト「ヨコハマ・コドモ・アートナビ」などの子どもとアートをつなぐプログラムに長年取り組んでいる三ツ山一志さんにお聞きしました。

 

 

 

「大変だったけれども、楽しかった」という質の高い楽しみ方を体験させてあげる役割があるんです

「やってごらんよ」と誘って、「面白かった」へと導いてあげなくては

 

 

 

@子どもに関わることになったそもそものきっかけは何ですか?

 

 大学で彫刻を学んだ私ですが、とても彫刻では生活できないとわかり、生計のためにアルバイトで幼稚園のお絵描き教室で教えたところからです。子どもたちには好かれて囲まれて、これは天職だと思いました。そして、子どもに美術を教えるということの意味について考えたんです。

 当時の私は「東京保育美術研究会」という会からの派遣という立場でしたが、この会は幼児にとっての美術の果たす意味を研究しながら、その実践の場として幼稚園で子どもたちに絵を教える活動をしていました。当時、子どもが絵を習う理由についての一般的な考え方としては、「絵をたくさん描くと上手になる」「上手になったら展覧会で賞をもらえる」「そしたら画家になればいい」という乱暴な三段論法が平気で言われていましたが、作家を目指して挫折した人間がそれを言えるわけもないですし、何を基準にして作家というのかをよく考えれば、そんな論法が成り立たないことは明らかでした。作家や芸術家というものは目指してなるものではなく、ましてや他人からお墨付きをもらうものでもなく、自分でどうしてもなりたくてなるものなのなんですから。

 そう、アーティストは育成するのではなく、勝手になるものなんです。ですから、絵を教えるということは、作家になるための上手な絵の描き方や、コンテストで賞を取るためのコツを教えるのではなく、「子どもの自立をうながすことだ」ということに気づきました。「いずれ大人になる存在」としての子どもが自分で考えて生きていけるようにと励ますものなのです。

 

 

Q.では子どもに美術を教えるとはどういうことなんでしょうか?

 

 アートって、単純に言うと「目に見えないものを見えるようにする」のがアートだと思うんです。だから描き方やつくり方も教えるけど、それは1番目じゃなくて、見えないもの、つまり、思うとか考えるとか感じるとかという、身体の中にある「心」と呼ばれている、表現に必要な大本に気づかせてあげるのが我々の仕事であり、担っている役割だと思います。

 実際に横浜美術館の「子どものアトリエ」という子どもと接する現場にいると、様々な子どもたちがやってきます。「すべての子どもたちへ」と掲げているのですから当然のことです。なかには、自分の身体すらも自分で動かすことができない、瞬きもできないような重い障害を持つ子どもや、あるいは心の病を持つ子どももアートを体験したいとやってくるわけなのです。そんな子どもに対してどんなアート体験をさせてあげられるでしょうか?

 ある時、身体を動かせない子どもに対してのプログラムを考えていて、音を作るアーティストの作品を買って音を聞かせてあげることを考えてみたこともありました。また、自分で動けないので、身体を揺らしてあげたらどうかと考えていたら、大きなゴミ袋が目に入って、これに水を入れて大きな水枕のようにして並べた上に身体を横たえてもらい、揺すってあげると、とても喜んでもらえた。そのアイデアから「障碍者用プログラム」として、透明の袋を特注してその中にカラフルな色のついた水やお湯を入れて身体で感じることのできる装置を準備することになりました。

 つまり、子どもの成長について「心身の発達」などと言うときの、身体の部分を丈夫にすることは家庭に任せるとして、「心」と呼ばれている目に見えない部分こそ教育が担うことなのだと思うわけです。我々がアプローチしているのは「心」という抽象的なところなんです。身体を揺らしてあげることで、心も揺れて楽しくなる、そのようなアプローチを常に考えています。

 

 

Q. 「子どものアトリエ」や「子どものためのプログラム」などの子ども事業の果たす役割は?

 

 子どものための事業は、子どもを楽しませればいいとよく勘違いされますが、私はまず最初に挨拶から教えます。私の指導法は体育会系ですから(笑)。子どもは好き勝手に走り回っているのが一番楽しいと思うかも知れないけれど、楽しいことには質があるということを教えてあげることが大切なんです。夢中になって没頭して 「大変だったけれども、楽しかった」という質の高い楽しみ方を体験させてあげる役割があるんです。「やってごらんよ」と誘って、「面白かった」へと導いてあげなくては。

 アーティストは育成するものではありませんが、しかし成長過程でアーティストになろうと決意する瞬間がもしも訪れるかもしれないために、夢中になってやり遂げたことを阻害されなかった体験、励まされた体験があることが意味をなすかもしれないわけです。ですから、我々はけっして時計を見て急かすようなことはしません。夢中になっている子どもにとことん付き合います。「大変だったけれども、楽しかった」という体験をして、「よくがんばった」と褒められたことが、大きな意味を持つことになるかもしれないのです。

 そして「これから大人になる人」である子どもに「質の高い大人」を紹介してあげることも我々の役割です。アーティストは「質の高い大人」のひとり。一見、普通の人と違う風変わりな人だと言われがちですが、自分で決心した道で自分の時間を削ってその人だけの価値観を一生懸命に表現しようとしている「質の高い大人」であるのです。子どもに責任を持って紹介すべき人かどうかは有名なアーティストであるかどうかとは無関係です。自分ですごい大人を探し出せるようになればいいけれどもそれができないうちは、我々は財団の専門性も駆使して、子どもの未来像のひとつとして、質の高い大人であるアーティストと子どもたちの出会いの場をつくることも重大な任務と思っています。