情報誌

2 月号/ 2013

インタビュー「谷山恭子さん」

13.01.25

ヨコハマ・アートナビ 2FEBRUARY 2013

ヨコハマ・アートナビ独占インタビュー

アーティスト

谷山恭子

Kyoco Taniyama

 

 

Profile

東京在住。場所の歴史や特徴を生かした空間的な作品をつくるアーティスト。アートリンクin横浜赤レンガ倉庫「こおりのせかい」でアートとスケートリンクのコラボレーションをつくりあげた。

 

 

イベント情報:

アートリンク in 横浜赤レンガ倉庫「こおりのせかい ice world 」

開催日:開催中~2月24日(日) 22:00まで

2月には谷山さんによるワークショップも予定しています。詳しくはHPにて

http://www.yokohama-akarenga.jp/artrink2012/index.html

 

 

 

 

その場所を自分なりに解釈して、翻訳して伝えたいんです

 

■現在、ニューヨークに滞在中ですね?アートを取り巻く状況はいかがですか?

 

 アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)から助成をいただいて半年間滞在しています。私はパブリックアートも制作しているので、ニューヨークにはパブリックアートが実際街のあちこちにあるし、一般の人々がみなアートが大好きで共有できている事がすごいと思いました。アートを当たり前のように楽しんでいる姿勢が感じられるのはいいところだと思いますよね。「Lat/Long project I’m here」という緯度と経度を使ったプロジェクトを、ニューヨークで紹介した際には、自分がどこで生まれたのか、ここにいつ来たのか、これからどこに行くのか、いつ私たちはどこで死ぬんだろう、という疑問を探りたいという私の意識を感じ取ってくれる人がとても多かった。移民の人が多く暮らす街ですから。そういった意味でいろいろな国の人達がいて様々な文化が混じっているニューヨークという街には、自分の考えや意識を共有できる相手がどこかにいるっていう感じがして安心しますね。

 

■ どこで生まれてどこに行くのか、が疑問なんですか?

 

 自分の所属感に関しては子どものころからずっと 悩んでいました。そしてそれがくっきりと再度意識化されたのは震災がきっかけで、そこから生まれたプロジェクトがその「Lat/Long project I’m here」です。

 

■震災がきっかけというのは?

 

 2011年に石巻にボランティアに出かけたのですが 、震災現場を目の当たりにして、自分の所在がわからなくなって、「今私はどこに居るのだろうか?」という疑問を改めて強く持ちました。それから、自分の足下を再確認するためにあちこちで緯度と経度を計測し始めて、そしてそれをテーマに制作を行うようになりました。地上に無数にある緯度経度の交点のうちの、小数点以下のないクロスポイントに的を絞って、そこに偶然ある家やお店などへ、それぞれの数字と、地上でたったひとつの場所に対する感謝や祝福の気持ちを込めたモノを設置するというプロジェクトです。オーストラリア、横浜、東京の墨田区、ニューヨークと行なってきました。たとえば墨田区ではN35°43’27” E139°49’12” という緯度経度上にあったのは昔ながらの和菓子屋さんでした。そこで、お店で以前から売っていたどら焼きにその数字を焼きゴテで焼き付けてもらって、販売してもらっています。緯度経度は、今、地球上のどこに居るかを数字で表してくれます。そしてそこにある日常風景とコラボレーションしたりして、「地球上の唯一の場所にいま居る」という実感を感じたいんです。

 

■所在を求めるのは大事なことなんですか?

 

 私自身にとっては大きな問題だったんです。生後5 ヵ月から幼少期は父の仕事の関係でマレーシアのボルネオに住んでいて、4歳の時に「日本に帰ろう」ということになったので、私にはどこか帰る場所があると信じていたのですが、帰国してみたら、日本への所属感がまったく感じられずに大変に困った体験があります。自分の場所って、 何なんだろうという疑問を、子どもながらに強く感じていました。父はマレーシアに単身赴任で残り、名古屋のおばあちゃんの家に帰国したのですが、おばあちゃんがちっちゃいアパートを経営していて、そのアパートの名前がローズコーポラス だったんですが、その名前を毎日日記に書き記していました———「ローズコーポラス」って。「何で?」と聞かれて、当時は答えられなかったけれど、「これからどこに行くのかも分からないから、とりあえず今ここにいることを書いておかないとどんどん時間が過ぎていっちゃうと思うから」という感覚からだったんですよね。たぶんその感覚が今の私にも響いているのだと思うんです。

 

■美術に進もうとしたのは?

 

 母がグラフィックデザイナーを若い頃やっていて、その後、自分のデザインで着物を作っていたんですが、私は、布の柔らかい感覚が好きじゃなくて。高校に入学するために東京にいくことになりましたが、母からは美術系の高校も勧められたのですが断って、普通の都立高校に行きました。でも大学進学のときに進路を考えあぐねていたとき、友人が「絵を描きに行こう」と言うので予備校について行ったら、美大受験の予備校で、初めて美術の大学があることを知りました。絵を描くのは子どものころから大好きでしたからその予備校に通って美大を受けることにしました。それで工芸工業デザインに入学しました。当初はプロダクトデザイナーになりたいと思っていたんですよ。大学の授業では溶接をしたり、木工をやったり、いろいろな体験ができましたが、金属工業を最終的に選んだんです。溶接をさせてもらった時にとても楽しかったので。大学を卒業して最初は溶接工のような仕事をして働いていたんですけど、なんとか金属でものが作れる技術を学んだので、一度自分の作品で展覧会をしてみようと思ったのが、アーティストとしてのスタートでしたね。大学院の頃に一人でロンドンに旅行に行って、ギャラリーで初めてコンテンポラリーアートというものを見て、「アートってこんなに広い解釈があるんだ」と発見したので、いつの間にか自分でも何かやってみたいと思っていました。

 

■金属という素材が好きだったんですか?

 

 寸法をすべて計算して、段取りを踏んでいくという手順がおもしろい。柔らかくないところも好きです。ただ扱いに慣れてしまえば、本当は柔らかい素材だなと思うんです。鉄であっても、火で赤めればグニャって曲がってしまう。段取りを考えて取り組めば、自由に言うことをきいてくれる素材なのが楽しいんです。それに、作品を作り終えたあとにも、またリサイクルされて金属の素材に戻るという性質が好ましく感じます。廃棄する際に鉄屑屋さんに出せば、買い取ってもらえたり、たとえタダで引き取られても、また鉄板になって売られる商品になる。そういう「エコ」な素材で、ちゃんと世の中にリサイクルされていくことに対しての安心感があります。金属で作品を作る方がプラスチックなどの他の材料で作品を作るより罪悪感が少なかったんですね。でも一方で作品を作ろうと鉄板を、たとえば 4500円で買ったとしますよね。私がそれを切断するとそれが1円にもならなくなりますよね。作品に変わって作品としての値段 が付けばそれは別問題ですが、鉄の市場としては無価値になる。その事については罪悪感を感じていいて、最近は色々な素材や手法で作品を作るようになりました。

 

■作品づくりで自分らしい特色はどこにありますか?

 

 特徴かどうかは分かりませんが、水や自然をテーマにすることが好きです。映り込んだり反映したりするリフレクションの効果も好きかな。「Rainy Lane 雨の路地」という雨を降らすプロジェクトをやったことがあります。昨年は病院のためのパブリックアートを、ステンレスの鏡面で光を反射する効果を考えて作りました。昨年完成した「高松市民プール」は、プールの内壁をカラーリングして、プールがそのまま外の海の水平線に繋がるようにしてみました。こういう作品で、見た人が何か自然を感じられるといいなと思うんです。その場の自然環境をちゃんと利用するようにしたいと思っているんです。それは生活感を大事にすることでもありますね。

 

■生活感を大事にするというと?

 

 「Rainy Lane 雨の路地」では、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、男木島で実施したのですが、この島では昔、水道の引かれていなかった時代、水が何よりも貴重なものだったそうで、島の人々から水にまつわる昔話を聞いて触発されました。そこで暑い男木島の夏に恵みの雨を降らせたいと思ったんです。島の井戸水や雨樋の水を利用して、島民の生活用品である、タライやヤカン等から雨を降らす仕組みを作りました。

 

■その土地の人の話を聞くところから作品づくりはスタートするのですか?

 

 ええ、そこが出発点です。空間をつくる作品に取りかかるときには、その土地で暮らしている人やその場所に関わりのある人にまず話を聞くことにしています。ずっと話を聞いているうちに自分なりにその場所を解釈することができ、おのずとその経験が作品づくりの基礎になっていくから。そこに暮らす人達が継続してきた時間をきちんと理解したいという衝動は、私にとって必然的なものかもしれません 私自身の子どものころの体験から、所在を確認したいという意識が、やはりいつもベースにあると思います。

 

■今回のスケートリンク「こおりのせかい」はどのように始めたのですか?

 

 スケートリンクの氷を作る職人さん達にまずは話を聞きました。毎晩、水を撒いて手をかけて氷を育てている人が居ることは驚きでした。それらの言葉を主にひらがなの文字によって表現しています。動く光を通して現れる文字や言葉をとらえながら氷の上を滑ることで、スケートリンクというパブリック空間での体験がより個人的な体験になると良いと思っています。そして、それらの言葉が私達の日常生活での思考と繋がるようなことがあれば、氷を作っている職人さんの思いと私たちの生活感が繋がり世界がもっと広がっていくのではないかと思っています。地球上という同じ世界に住んでいる知らない誰かの存在を感じとれるような優しい空間になれば嬉しいです。