情報誌

2 月号/ 2012

インタビュー「ダンス・振付家 長内 裕美さん」

12.03.22

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ダンス・振付家
長内裕美 氏

YUMI OSANAI

プロフィール

姉の影響で4歳よりクラシックバレエを習う。大学1年生の時に「H.アール.カオス」の舞台に衝撃を受け、コンテンポラリーダンスを始める。在学中より国内のダンスカンパニーで活動。2008年より振付を始める。2010年、横浜ダンスコレクションにて「若手振付家のための在日フランス大使館賞」及び「MASDANZA-EU賞」受賞。2010年、第15回MASDANZAインターナショナルコンクールソロ部門2位。2010年、半年間フランスのアンジェ(CNDC)にてレジデンスをし、作品を創る。その他、キム・ソンヨン主宰の韓国のダンスカンパニーにダンサーとしても参加。2011年には韓国人振付家ノ・ギョンエと共同制作を行う。




(イベント情報)

横浜みなとみらいホール小ホール・オペラシリーズ

日韓ダンスプロジェクト “Two Aspect
1月28・29日(土)15時 横浜赤レンガ倉庫1号館 3階ホール


横浜ダンスコレクション受賞者公演 ”SKYBAUM”
2月15日(水)19時30分  横浜赤レンガ倉庫1号館 3階ホール
出演:梶本はるか、吉村和顕、長内裕美

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◆お問い合わせ:
横浜ダンスコレクションEX 2012(横浜赤レンガ倉庫1号館)
045-211-1515



子どもの頃から踊ることは好きでした

子どものころはクラシックバレエを習ってらしたんですね?
2歳上の姉がクラシックバレエを習っていたのでそれを真似て、4歳からクラシックバレエを習い始めました。一時期は妹も含めて3人一緒に習っていましたが、私が小学校3、4年生の頃だったか、3人とももうやめようかというときに先生が電話をくれて、「裕美ちゃんだけはやめないわよね」と引き止めてくれたんです。
バレエは好きでしたか?
  踊ることは好きでした。幼稚園の頃までは先生の後ろにいつも隠れているような無口でおとなしい子どもでしたが、バレエを習い始めてからは自然と活発に友達と遊ぶようになりました。もともと身体を動かすことが好きだったので、やめようとは思いませんでした。
子どもの頃にはコンテンポラリーダンスに触れたことはありましたか?
子どもの頃は見たこともありませんでした。学校の創作ダンスの授業なども興味がありませんでした。振り付けをするなんて全然考えもしませんでした。
ではいつからコンテンポラリーダンスを踊るようになったのですか?
バレエで留学をするか、大学に進学しようかと迷いましたが、結局大学の舞踊科に進学しました。舞踊学の授業があったり、コンテンポラリーダンスの実技のクラスがあったりして、とても新鮮な環境でした。でも最初はよくそのダンスの良さがわからず、大学の授業とは別にクラシックバレエを続けて習っていました。大学1年生の18歳のときに「H.アール.カオス」というダンスカンパニーを見て、いったい何が起きたのかわからないくらいにびっくりして、とても感動して、バレエをやめ、レッスンに通うようになりました。

衝撃的な出会いでコンテンポラリーへ進む

衝撃を受けて、コンテンポラリーに弟子入りしたんですか?
  「H.アール.カオス」との出会いは言葉にできないほどの衝撃でした。今までに見たことのないダンスで、舞台のどこを見てもどこのシーンを見ても隙がまったくなく、濃密で強烈でした。メインで踊ってらした白河直子さんがものすごい存在感でした。アクロバティックでありながら、人間の身体が持つ根源的なものに驚くばかりでした。あり得ない技術に驚いて圧倒されました。
それまでバレエを習ってらしたわけですが、コンテンポラリーとバレエでは身体の使い方は違うのですか?
バレエには定型の「ポジション」があって、ひとつひとつの振りがあって、そのコンビネーションが作品になります。けれども、コンテンポラリーはまったく自由な振り付けで、バレエの発想ではまったく予知できない身体の動きをしたりします。バレエでは床に手をついたり、転がったり、床の上で回ったりという動きはけっしてしないので、それまでやったことがなかったのですが、自分もできるようになりたい、と思いました。
最初はそうしたテクニックができるようになりたいと夢中になってレッスンに通いました。
クラシックバレエを習っていて役立ちましたか?
バレエを習っていたおかげで、身体の軸ができていたので、それを発展させたり、あるいは破壊させたりすればいいので、やはり役に立ったと思います。

自分のダンスを見つける

コンテンポラリーの基礎を身につけてから、今度は自分のダンスを見つけるまでにはどのようなステップがあったんですか?
一度、ダンスを離れて大学卒業後に就職しました。OLになって一年間くらい働いたんですが、やっぱりダンスがやりたいと思って、会社を辞めて、大学の同期の友達が主宰していた「プロジェクト大山」に二年間いました。「踊りにいくぜ」というプロジェクトに参加したり、フランスでの公演に参加したりもしました。そして25歳のときに初めて自分の振り付けをすることになりました。
一時期ダンスから離れていたことは、その後の作品づくりに役立ちましたか?
とても役立ちました。OL時代は、週に1回か2回通っていたレッスンがとても貴重な時間になりました。ダンスをやりたいという気持ちがますます募り、その時期があったからこそ、いつかダンスを仕事にして生きていけるようになりたいと決心できたのかもしれません。
ダンサーとして他の人の振り付けで踊ることと、自分の振り付けで作品を作るのはどう違うのですか?
自分は他人の作品を踊るダンサーだと思っていましたから、振り付けに挑戦してみて、なんとか自分の作品ができたことは驚きました。でも、そのきっかけは、友達に後押しされ、気がついたら申し込みをしていて、作らざるを得なかったんです。最初の作品は「concord(コンコルド)」という作品です。
尊敬している振付家さんの公演の手伝いで訪ねたモロッコの思い出、美しい夕陽や、旧市街の広場のエネルギーからもインスピレーションを受けました。自分の作品を作ることで、それまでもやもやしていたものが消化されるようになった気がします。振付家になりたいと思っていたわけではなかったのですが、今の私ができることであり、あるいは一種の償いのようなものかもしれません。

作品が生まれるには

作品づくりはテーマがまずあるのですか?
テーマがまずあってシーンが浮かんだり、音楽を聴いていて、こういうシーンをつくりたいな、と思うことや、普段の生活の中で人や風景を見ていて、つくりたいシーンが浮かんできたり。それらを組み合わせて構成を考えてつくりあげてひとつの作品にします。身体の動きから生まれることもあります。
身体の動きから作品が生まれた例はありますか?
「日韓プロジェクト」ではそれに近い方法での作品づくりとなりました。横浜ダンスコレクションのコンペティションの受賞者である私と、韓国のソウル・ダンス・コレクションのコンペティションの受賞者である振付家のノ・ギョンエさんとが、日本と韓国それぞれの国に一ヶ月ずつ滞在して作品をつくるプロジェクトなんです。お互いの国に滞在中に同時にそれぞれワークを行なって、そこでのお互いの動きを汲み取って、構成も、シーンもムーブメントも決める、という作り方をしました。共通の1つのキーワードはありますが、今までの自分の創作方法と全く違うので、どんな作品になるかまだわかりません。

ダンスで表現することとは

何かを表現したい気持ちはどこからくるのですか?
生きていて、その時にものすごく強く感じることが多々あって、そこからくることが多いです。
 多くの振付家やダンサーが好きなように、私もピナ・バウシュという振付家さんの作品が大好きです。彼女の作品を見ると、必ず長い作品のなかに一瞬、言葉にできないほどに感動するシーンがあり、自然と涙が流れてきます。そういう、この同じ空間に居られてよかったと思える瞬間が忘れられなくて、とても引き合いに出すなんておこがましいけれども、ダンス作品を生み出して行くことはすばらしいことだと感じています。自分がこれだと思うものを、どこまでできるかわからないけれど、続けられるかぎり自分もやってみたいと思います。ずっとバレエをやってきて、ダンスをやってきたので、他のジャンルよりも自分の表現には一番ふさわしく、ダンスでしか自分の表現はできないと今は思います。
「横浜ダンスコレクションR」での受賞で作品づくりや生活は変わりましたか?
 2010年に「横浜ダンスコレクションR」で「若手振付家のための在日フランス大使館賞」をいただき、その副賞でフランス国立現代舞踊センター(CNDC)に半年滞在しました。目まぐるしいくらいの多彩な体験をさせてもらったのですが、そのひとつに舞踏家の室伏鴻(むろぶしこう)さんのワークショップがありました。これまで経験したことのない身体感覚ばかりで、今の自分に必要なものだと強く感じました。帰国後に私のダンスを見た方からは、直接的に舞踏の動きを取り入れたわけではないのに、「動きが変わった」と言われました。広がった身体的可能性が作品に反映されたのかもしれません。
今度の「横浜ダンスコレクション受賞者公演」の楽しみ方を教えてください。 「横浜ダンスコレクションR」での受賞で作品づくりや生活は変わりましたか?
 新作を上演します。タイトルは「SKYBAUM」。「SKY」は「空」。「BAUM」はドイツ語で「年輪」。私の造語ですが、「空と地面から生える年輪」の意味。亡くなった大事な人たちともう一度会いたい、会うことが叶わなくても交信できたら、という願いを込めました。ダンスは、今を生きる私たちに切実な生身の身体を正面からぶつけ、改めて身体の存在を発見させてくれます。特にコンテンポラリーダンスは、はじめは取っ付きにくいかもしれませんが、「何を表現しているのだろう」と深く考えずに観たままを感じてほしい。そこで何が起こるのかわからない。そのスリル感も楽しみの一つかもしれません。
2011年11月4日 横浜赤レンガ倉庫1号館にて