情報誌

11 月号/ 2012

インタビュー「坂本頼光さん」

12.11.02

活動弁士

坂本頼光

Raiko SAKAMOTO 

 

Profile

1979年生まれ。少年時代は漫画家志望で、水木しげる作品に傾倒。ひたすら妖怪の絵ばかり描く日々を送るも、中学二年より映画熱に取り憑かれ、やがて活動写真弁士を志すようになる。2000年、東京キネマ倶楽部『鞍馬天狗』の説明で弁士デビュー。以降、時代劇を中心に各地の映画祭、劇場、神社仏閣、野外等様々な場所で活弁ライブを行う。これまでの説明作品は、『キッド』『カリガリ博士』『御誂治郎吉格子』『生れてはみたけれど』等、邦画・洋画併せて約六十本。08年にはJAPAN国際コンテンツフェスティバル特別上映会『雄呂血』で弁士を務め、清水靖晃オーケストラと共演。10年には米国五大学(エール、スワスモア、インディアナ、ハミルトン、コルビー)の無声映画公演に参加。また数年前から絵心が復活し、自作動画やイラストを用いた活弁パフォーマンスで、国立演芸場その他寄席、お笑いライブ、SUMMER SONIC等のロックフェスにも出演する傍ら、アニメーションの声優、CM、バラエティ番組のナレーション等、活動の幅を広げている。本年5月にオープンした新東京タワースカイツリーのマスコットキャラクター・ブルドックの『スコブルブル』の声も担当している。

 

イベント情報

 岩間シネクラブ特別篇4《サイレントシネマ&活弁ワールド》 『伊豆の踊り子』『チャップリンの番頭』  11月4日 http://iwama.exblog.jp/

 

日本独自の語り芸、弁士は映画を引き立てる

 

学校の課外授業で出会った弁士

 

■弁士になろうと思った背景にはどんなことがありますか?

  幼稚園の頃まで遡らせていただきますが、祖父に水木しげる先生の妖怪のマンガを買ってもらったんです。これにすっかりはまりまして、妖怪の絵を模写ばかりしていました。漫画家になりたい、水木しげる先生の弟子になりたいという一心でした。中学2年まではまったくそれ以外には興味がなかったですね。そして中学2年の時に、初めて弁士さんを見ました。学校の課外授業で、無声映画を見に行ったんです。

 

■中学の課外授業で無声映画を?

 ええ、学年全員で見に行きました。チャップリンの『キッド』でした。チャップリンの名前は聞いたことがあったけれど、映画を観るのは初めてでした。そのときに弁士を務められたのが澤登翠(ルビ:さわとみどり)さん。 音楽も音声も映画から出てくるのではなくて、上手のほうに楽団がいて生演奏をしていて、そして下手のほうには弁士という人がいて生で語るというのは、新鮮な体験でしたね。登場人物すべての台詞や声と、物語の筋を説明するナレーターの役割をひとりでこなす弁士という芸能があることをこの時初めて知りました。

 

■そのときの体験で弁士になろうと?

 いえ、弁士のことはしばらく忘れていました。映画にはまったんです。当時は池袋の文芸座といったような名画座がまだありまして、むさぼるようにたくさん見ました。高校が面白くなくなってきて退学しようと思ったとき、映画関係の仕事をしたいと思ったんです。でも、監督や役者や脚本家ではなく、あまり人が目指さない仕事がいいなと思いました。そこで弁士という職業を思い出しました。  

 

 17歳で活動弁士を目指す

 

■17歳で弁士を目指されるのですね?

 職業の選択肢のひとつに加えたんです。どちらかというと昔の映画が好きで、当時の新しい映画はあまり面白いと思わなかった。古い映画の醸し出す雰囲気が好きでした。その雰囲気を表現するのに一役買う弁士もいいな、と思いました。無声映画鑑賞会をしばしば観に行き、澤登さんのお師匠さんの松田春翠さんという弁士の方が語るのもよく聞きました。澤登さんの静謐な感じの語り方とは違う、ちょっと郷愁を感じさせるようなところがありました。声を張って抑揚をつけて、「本日は! たくさんのご来場を賜りまして」みたいな感じで、なんだか演芸らしくて心地いいなと思いました。それで「蛙の会」という弁士の研究会に入ったんです。

 

■独学で弁士になられたのですか?    

特定の師匠にはつかなかったので、その研究会で練習して、発表会で18歳のときに『鞍馬天狗』を語ったのが最初の弁士体験です。スクリーンの前で挨拶して着席しようとしたんですけど、緊張のせいかタイミングがずれて映画が始まってしまい、「時は文久三年…」とずっと中途半端な姿勢のままでやってしまったという恥ずかしい思い出があります。でもお客さまから、「若い人にがんばってもらいたい」だとか、大正一桁生まれの方から「こうしたほうがいい」とか「正しくはこう言う」と教えていただいたりして、励みになりました。独学というと気恥ずかしいですが、自己流です。

 

■古い言葉についてはどうやって学ぶんですか?

 映画が時代劇か現代劇かで使われる言葉もちがいますが、現代劇といっても昭和初期までのものですからね。西日暮里にずっと住んでいましたから、落語などの古典演芸にはなじみ深い土地柄でしたから、小さいころから古い言葉には比較的なじんでいたとは思います。でも他の弁士の方の上映会はもちろんですが、落語や講談、浪曲、あるいは歌舞伎までいろいろな芸能を観て、学ばなければと思っています。

 

■弁士になってみて、向いていた素質はありますか?    

地声が元々大きいのは向いていました。

 

日本独自の弁士という文化

 

■弁士は演芸のジャンルに入るんですか?

 語り芸のひとつですよね。無声映画を活動弁士が語るというのも、日本だけの独自の文化ですよね。初めて日本で無声映画の上映会が行われたのは1896年、明治29年、神戸でのことでした。エジソンが発明したキネトスコープという機械が輸入されての初披露でしたが、これは映像をスクリーンに投影するのではなくて、箱の上の部分にレンズが付いていて、そのレンズの底に投影される映像を覗き込む仕組みでした。一人ずつしか見れないものだったんです。順番を待っている人たちのために、その場を盛り上げる必要性から急場を任された人が上田布袋軒という人で、弁士の元祖と言われています。まさにマスター・オブ・セレモニー、今で言うMCの役どころなんです。 それが評判で、スクリーンに映像を投影するようになって、大勢が一同に観るようになってからも、弁士がいないと寂しいということで残り、トーキーになるまでは弁士の時代だったんですね。

 

■日本特有の文化なんですね。

 落語、講談、浪曲、日本は語り芸の多い国ですからね。語り芸の伝統とサービス精神が生んだ独自の演芸でしょうね。

 

『伊豆の踊子』は弁士に任された映画

 

■「伊豆の踊子」の弁士ならではの役どころは?

 原作は数十ページの短編小説です。川端康成が学生の頃に旅した思い出を綴ったドラマティックな起伏のあまりない叙情的な作品です。それを一時間半もの映画にしたわけです。風景の描写がふんだんにあり、そこは弁士の語りに委ねているように思います。「ここは天城七里の通り道、学生水原が……」いうような調子です。弁士の腕の見せどころですね。また田中絹代さんの15、6歳の少女を演じる演技も受け止めて演じたいです。

 

■即興性はあるのですか?    

まずは原作を遵守して、台詞はもちろんその通りに再現して、台本をきっちりと書きます。台本の参考にするのは、昔の弁士の方が吹き込んでいるSPレコードを聞いて、ハイライトシーンの一つのバージョンとして参考にしたり。澤登さんの「伊豆の踊子」も聞いたことがあります。自分のオリジ ナリティーが必要なので、参考にしながら、台本を書いていきます。それをその時々にさらってみて、手を入れて改良していきます。 まれに即興的な言い回しをすることもあります。

 

ギャグを説明するのは難しい

 

■チャップリンギャグやスラップスティックな動きを語るときのポイントは?

 今回の『番頭』というのは、1916年の作品で、チャップリンの短編時代のなかで一番脂が乗っていた時期のもので、内容や主演陣も充実しています。 この頃はかなりスラップスティック、ドタバタに徹しているものが多いんです。チャップリンはバスター・キートンとハロルド・ロイドと並んで三大喜劇王と言われますが、チャップリンは特にパントマイムが優れていると思うんです。そのパントマイムの妙技みたいなものが、この作品でも堪能できます。例えば 修理を頼まれた時計を壊す場面などのスラップスティックな動きなど楽しんでいただきたいと思います。でもそれを語るのは難しいというか、怖いことですね。説明しなくてもわかることをわざわざ語るのですからね。今の子どもたちでも、チャップリンの動きの面白さには大喜びするくらいですから、古今東西、年齢にも関係なく誰にでも受ける動きを、解説する必要はないですよね。

 

■違うタイプの作品を語り分けるのは大変ですか?

  チャップリンは軽妙な語り口や声音になりますし、「伊豆の踊子」はまあ真面目な感じにはなるでしょうね。 今回は日本のものと外国のものとを二本立てで、全然性質の違う作品を僕が一人で語りを使い分けて説明します。主役はあくまでも映画なので、いかに映画のそれぞれの魅力を引き立てられるか、がんばります。

 

■若手弁士としてこれからどういう目標がありますか?    

かつて漫画を描いていた腕を奮って、今、アニメーション作品を作ってもいます。自分で描いたオリジナルのアニメーション作品に自分で活弁をつけて上映したいですね。ともかく、弁士がもっと増えて活気づいてほしい、という願いもあります。同じ作品でも弁士によって違う、一つの映画で何通りもの楽しみ方ができるという環境にまで、この分野が発展していけばいいと思います。落語の「芝浜」を誰で聞くか、同じ話を誰の語りで聞くかで楽しみ方が広がるように、無声映画をあの弁士で聞きたいという楽しみ方ができるようになってほしいです。