情報誌

8 月号/ 2012

インタビュー「奈良美智さん」

12.07.23

photo by: TSUKAMOTO Minami

 

アーティスト
奈良美智
Yoshitomo NARA   

 

Profile
1959年青森県弘前市生まれ。1987年愛知県立芸術大学修士課程修了。1988年渡独し、国立デュッセルドルフ芸術アカデミーに在籍。2000年より海外で相次いで個展を開催。2001年には、国内で初めての大規模な個展「I DON’T MIND,IF YOU FORGET ME.」が、横浜美術館を皮きりに国内5ケ所を巡回。その後、国際展への出品や、他ジャンルのアーティストとのコラボレーションなども幅広く手掛け、2006年には創作ユニット・グラフ(graf)とのコラボレーションによる展覧会「A to Z」が、青森県弘前市で開催された。2007~10年にかけて、滋賀県立陶芸の森で、それまでの立体作品とは異なる存在感を放つセラミック・ワークを制作。本展で初挑戦となるブロンズ作品のための塑象原型は、2011年に愛知県立芸術大学で滞在制作された。
7月14日より横浜美術館において「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」展を開催中。

 

 

【イベント情報】

【日時】2012年7月14日(土)から9月23日(日)10:00~18:00(入館は17:30まで)※木曜休館
【会場】横浜美術館
 詳しくは、こちらのページをご覧下さい。http://www.nara2012-13.org/

 

 

現在進行形の途中を見せたい

 

■横浜美術館では11年ぶりとなる個展「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」展が開催になりました。開催までの道のりはいかがでしたか?

ある時期からは楽にできると思い始めていました。でも一年に一枚とかいうように、少しずつしか絵を描けない人がいますが、自分がそういうふうになってきている気がしてきて、キツいと感じ始めました。

前回2001年の個展「I DON’T MIND,  IF YOU FORGET ME.」から11年で、同じ横浜美術館のあの壁面を全部埋めるようなことは到底できない、と一時期は思いました。でも、震災があったり、自分の作品を振り返るレゾネの出版があったりし、意識が変わったんです。今まで何をやってきたのか、現在進行形で見せようというふうに考えたら、プレッシャーがなくなってすごく楽になったんです。途中のものでも見せても良いのだと。つまり、その時点では完成した作品であったとしても、それは実は進化の途上のある段階でしかないことに気づいたからなんです。2001年の展覧会も、やはり現在に至るまでの途中段階のものだったのだと。現時点での完成品として見せなくてはならないという気持ちは消えてしまって、「まだ明日があるのだから、今その時のものを見てもらえば良いのだ」と思えるようになりました。もちろん全力は尽くすけれど、その時のパーフェクトなものを作ろうと無理するのではなく、明日も世の中は存在するという意識を持って、その途中を見てもらおうと思い制作しました。

自分が死ぬまで、一生を通して作品を作っていくのだから、今できる最高のものを、その時あるがままの状態で見せたいと思ったわけです。

 

■あるがままの状態を見せたいとは?

 

その人の一生は、人生の最後に決定される。あるいはその人が死んでから再評価されることすらあります。だから、その時のベストを尽くせば良いのであって、最高の評価を目指してやろうとしてはいけないのだとわかりました。

とはいえ、ベストを尽くしたのだからこれで良いだろう、と自分を安易に正当化するつもりはありません。ダメなときはダメなものしかできない、それをリアルに出せばいいのだと思っていたことを反省しました。ダメなものでもその時にしか制作できないものを制作することは良いと思う、ダメだからできないとただ言っているよりは。でもそれを安易に見せてはいけないということに気付きました。だからなかなか作品が完成しない。自分に寿命があるということに気付いたからなのかもしれません。

描き散らかしていくのではなくて、良いものを残していきたいと思うようになり、寡作の人のこともよくわかるようになりました。

 

震災で感じたこと

 

■東北の震災で考えが変わったということはありましたか? 直後はどのような気持ちでしたか?

あのとき、自分が何ができるかと考えたら、人として何かはできるけど、美術は即効性のあるカンフル剤みたいなことはできない、ということを痛感しました。美術は、やはり、余裕のある状況で初めてできることだな、と。

そして、ラスコー洞窟とかアルタミラの壁画、あるいはアボリジニの壁画のことを思い出して、「あれを描いた人たちは猟をする前に描いたのか、それとも猟をして腹一杯で描いたのか?」と考えたら、おそらくは腹一杯の時に描いたのではないかと。あるいはその腹一杯の時の感覚をすでに知っていて、腹が減っている時に、もう一回腹一杯の感覚を味わいたくて、その願望から描いたんじゃないか、と。そうじゃないと絵を描くようなことはしないんじゃないか。芸術が発展した背景というのは、そういうことだったんじゃないかな。腹一杯の上に文化というものが発展した。あるいは、腹一杯の感覚を知っているから、貧乏や飢餓状態になった時にそれに反逆するために生まれたものなんじゃないかと。だからこそ、生きるか死ぬかの非常時に、最初になくなるのも美術なんですよね。アフガニスタンとかでも、やっぱり美術が なくなってしまった。すごく良い美術があったのに。それで震災の後、「アートで何ができるのか」とみんなが言い始めた時に、自分は何もできないのではないか、と思いました。作品をお金に替えて寄付することくらいしかできないなって思ったんです。

それと同時に、美術はエンターテイメントじゃないんだな、と思いました。 被災地に歌手の人などが行くとみんなが勇気づけられますよね。あるいは漫画家の人でもいい。それは、オーディエンスとの関係ができ上がっているからなんですよね。音楽にはみんなで一緒に楽しめる良さがあって、で、美術は違うと思いました。

 

吟遊詩人のように歌い続ける

 

■展覧会開催にあたって今はどんな気持ちですか?

個展を開く以上、オーディエンス(鑑賞者)のことを考えざるを得ません。喩えて言うなら、何番もある歌を歌い続けてきたいという感じです。2001年を「今日」とするなら、今日は3番までを歌った、それでその歌は終わりだと思っていたけれど、皆が続きを聞きたいと言う。だからまた同じ街に行って、前は3番まで歌ったから今度は4番から歌います、 というような感覚です。

いろいろな土地を旅してまわった大昔の吟遊詩人が、自分の歌を望むオーディエンスに対して、とてもパーソナルな関係を持ちながら歌い続けたことと似ているんじゃないかな。

 

ボブ・ディランに倣って

 

■吟遊詩人の比喩をもう少し聞かせてください。

制作中はいつも音楽をかけますが、何をかけたらいいかわからない時にはいつもボブ・ディランをかけています。

特に初期のボブ・ディラン。ボブ・ディランは、アメリカの1960年代頃のフォーク・リバイバルの時に出てきた人で、その頃のボブ・ディランの音楽を聞いていると「あ、これは吟遊詩人の音楽だ」と思うことがあります。 いろいろな街へ行って歌う。すると、その次の歌を聞きたいと人々が言う。そういう感じでボブ・ディランは旅をしながらライブを続けていたんじゃないかなと思います。ローリング・ストーンズのコンサートのようにショーアップされた形ではなくて、常に現在進行形の自然な感じで「明日もあるし、また来ます」というように、その時の状況をただ歌にしていただけなんじゃないかと感じます。

一つの形にまとまったパーフェクトなものを出さなくてはならないとか、テーマを決めて、それに向かって努力しないといけないとかいうのはもしかしたら違うんじゃないかなと感じ始めました。もっと自然に、今、目の前にある状況をあるがままに歌うこと、それでいいんじゃないかと思うようになってきました。パーフェクトなものを作ろうとするのでは なくて、楽な感覚で今あるベストを見せることが大事なんじゃないかと考えています。

 

■今あるベストを見せるとは?

パーフェクトとベストは違いますよね。ベストは尽くすけど、パーフェクトは目指さない。

基本は、構図がどうとかモチーフがどうとかいうことではなくて、生きているということをどう表現するかということだと思います。それを美術というものを通してやっているだけで、表現することが終わる時には自分は死ぬだろうし、自分はそういう風に生きているんだということにも気づきました。

展覧会のタイトルやそれぞれの絵のタイトルを考えている時に気付いたのですが、自分の作品には、どのタイトルも当てはまると思って。それはあらかじめモチーフとかテーマを決めているわけじゃなくて、自分の表現は基本がすべて同じで、すべて繋がっているからなんだと思いました。

 

(聞き手:加藤磨珠枝氏=美術史家、今年4月に行われたインタビューをヨコハマ・アートナビ版に編集)