情報誌

1 月号/ 2011

インタビュー「長塚 圭史さん」

11.01.03

長塚圭史さん

演出家 

長塚 圭史 氏


NAGATSUKA KEISHI

プロフィール

1975年東京都出身。早稲田大学在学中の96年、演劇プロデュースユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成、作・演出・出演の三役をこなす。

04年に上演された『はたらくおとこ』(阿佐ヶ谷スパイダース)の作・演出と『ピローマン』(パルコ)の演出が高く評価され、第4回朝日舞台芸術賞と第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞をダブル受賞。05年の作・演出作品『LASTSHOW』(パルコ)で第13回読売演劇大賞優秀作品賞、06年の演出作品『ウィー・トーマス』(パルコ)で第14回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞。08年には文化庁新進芸術家海外留学制度にて1年間ロンドンに留学。11年には新プロジェクト”葛河思潮社”を始動。第一回公演『浮標(ぶい)』の上演を控える。俳優としても、映画『マイ・バック・ページ』(2011年公開予定)に出演するなど、多方面で活躍。




◆長塚圭史さん公式ブログ


(イベント情報)

「浮標」

日時:2011年1月17日(月)~1月23日(日)

会場:神奈川芸術劇場 大スタジオ

浮標(ぶい)

作/三好十郎

演出/長塚圭史

出演/田中哲司、藤谷美紀、佐藤直子、大森南朋、安藤 聖、峯村リエ、江口のりこ、遠山悠介、長塚圭史、中村ゆり、山本剛史、深貝大輔

美術/二村周作

照明/小川幾雄

音響/加藤 温

衣裳/伊賀大介

ヘアメイク/河村陽子

方言指導/安達まり

演出助手/山田美紀

舞台監督/福澤諭志

◆詳しくはコチラ




葛河梨池(くずかわりいち)という人を通して、考えていたんです

~葛河思潮社を立ち上げた理由~

ソロプロジェクト「葛河思潮社」(くずかわしちょうしゃ)を立ち上げられたいきさつを教えてください。
ひとつには、劇団というかたちで俳優をもっていると、様々な制約があるじゃないですか。それで、もう少しフットワークの軽いものを作っておきたいと思ったということと、※1アンチクロックワイズ・ワンダーランドを作ったときに、主人公の葛河梨池(くずかわりいち)という人を通して、「劇場っていうのは、そもそも何ぞや?」とか「そこに立ち上げられる物語とは?」とか、「じゃあ、作者とは何か?」「この世界の中で物語を作ることは、いったいどういうことなのか?」「物語の世界というのは現実じゃないのか?現実じゃないというのは誰が決めたのか?」「創造したこと、夢で見たことは現実じゃないのか?」、子どもっぽい発想なのかも知れないけど、そんなことをぐるぐると考えていたんです。でも、つきつめて考えてもなかなか答えが出てこない。ならば、そういうことすべて、誰も答えを持っていないから、この曖昧さをスリルにつながげてみたら面白いんじゃないかと。この曖昧な虚構と現実のゆるやかな繋がりを表していくというのに、演劇は非常に良い媒体なのではないかと思って、そういうことをアプローチしていけたら面白いと。こうしたことをきっかけ、基盤に「葛河思潮社」を立ち上げたわけです。


※1アンチクロックワイズ・ワンダーランド・・・2010年1月21日~3月6日 東京、広島、福岡、大阪、札幌、新潟、名古屋の全国7箇所で公演。ミステリー作家・葛河梨池と、彼をとりまく個性的な人間たちが、不思議な時間軸と空間の中で考え、もがき、行動し、立ち止まる姿を描いたストーリー。ロンドン留学から帰国後、初めての作品として注目を浴びた。

観客と舞台の間に生じる熱感

最近、長塚さんはプレビュー公演を設けていらっしゃいますが、長塚さんにとってプレビュー公演はどんな位置にあるものなのですか?
これは最近の僕の考えなんですが、プレビュー公演は、アンチクロックワイズ・ワンダーランドを経て、自分達が作ってきた作品に対して、観客の目にさらされるその時に、どちらかというと批評的な目を持って、観客と舞台の間に生じる熱感のようなもの、その熱の通りが良かったり悪かったりとか、観客にどのようなものが生じているかどうかを見極めて、大きく修正をしていくことが許された期間だと思っているんです。限りなく大きな修正ができる…。かといって、変えなきゃいけないわけじゃない。それを変えなきゃいけないってことになると、プレビュー公演って一体何だ?ってことになるんで…。例えば、3つの可能性があったら、2つを試すことができる。1つは切り捨てなきゃいけない。でも、その2つをやって2つが間違っていたら、あと1つを最終的に出すってことも考えられる。そういうようなことも、もちろんあるでしょうね。アンチクロックワイズ・ワンダーランドでもそういうことをしていましたね。演劇は観客とともにあるもの…そういうところを考えています。
観客の反応の良し悪し、熱感の伝わり具合というのは、どういうところを見て判断されるのでしょうか?
アンケートや関係者との論議もあります。でも一番はやっぱり演出の僕自身が感じとった、その時、劇場で生じた空気でしょうね。

プレビュー公演なのに、初日のように気持ちがわっと上がってしまうこともありますね。そうすると、観客への伝わり方が見えなくなる。わーっとなって「良かった」と、なってしまうんですね。その逆に「ダメだった」ということもあって、極端になってしまうんです。特に今回、僕も出演者として舞台上にいる分、冷静に見なくてはいけないんです。

何かが変わる…そういう戯曲だったんです

ロンドン留学中に、初めて「浮標」を読まれたそうですね。
実はそれまで一度も読んだことはなくて、ものすごく感動したんです。

異国の地にいると祖国が見えるというのは本当で「浮標」の言葉の美しさだったり、日本語のことも考えましたしね。戦前の日本、戦後の日本というのは意識することが多かったんですが、やっぱり、そもそも日本っていうのは何なんだろうなっていうことを考えて、それで余計に心を打たれたというか「浮標」でも引用される万葉集が、僕らの根源につながっているような気がして、ロンドンでおいおい泣きながら読みましたね。
「浮標」で観客に伝えたいものは何ですか?
とにかく「僕らは血の流れている人間なんだ、愛するものの死に震えおののき、命と言う抽象的なものを考えなければならない人間なんだ」っていうこと。でも、ラストに、明確な答えがあるわけじゃない。主人公・久我五郎が救われるわけでもない。でも、ここでおきた「生きる」ということと「生命と死と真剣に向き合った人間たちの力」のようなものが残っていくと思うし、この身体の中には血液が流れているって感じると思うんです。
この3時間で、観客が生死と向き合う可能性があるということですね。
大いにありますね。僕の中で何かが変わった…そういう戯曲だったんですね。浮標に出会う前と出会ったあとの自分は全然違うし。海外の戯曲がたくさんあふれる中で、近代日本の戯曲でこれほど力強いものが書かれてて、「存在」というものを強烈に気付かされるものがあるんですね。その僕が感じたパワーを演劇を通してみなさんに伝わり、見終わってからそのことが、どこか自分の生きていくところの生活の片隅に、意識の片隅でずっと残ってく作品になるとうれしいです。
「浮標」をどのような作品に仕上げていきたいですか?

「浮標」は上演時間がとても長くて、俳優も多いので、非常に上演が難しいと言われている作品です。でも、こんなに美しい戯曲をやらないのは変じゃないかって。こんなに素晴らしい作品があるんだということを示したいとも思ったわけです。


この作品をト書き通りに、例えば、上手に病室、玄関があって、居間があって…というように平屋の話にするというのもできるんだけど、そういうアイデアではなくて、もう少し違うもの。僕が「アンチ~」などで育ててきたアイデアを、もうちょっとシンプルに活用していく。そこに俳優がいて物語に誘っていく、物があるということでなくて、俳優が演じていることを中心に立ち上がっていく。そういうことによって、作品に流れる普遍的な本質、また現代演劇の可能性が広がっていくのだということをもっともっと示していけたらいいなって思っています。

ものにあふれていない状態の中で稽古をはじめていって、必要なものが見えてきたら、必要なものをどういうものにするか、それが観客の想像力を引き出せるようなものかどうか、そんなプロセスで作っていきたいですね。もちろん、具体的なことも出てくると思うんです。だけど、できる限りシンプルなものの中で、浮き彫りになるような舞台にできたらと思っています。

そこには「なぜ」が必要なんです

長塚さんのお芝居の中で、美術はかなり重要な要素である、ということでしょうか?
大きいですね。すごく大きいと思っています。何もなければ何もない状態でできるんだけれども、何もなければ、本当にそこに何もなければいけないし、何か1つを置くのであれば、その1つを置くのはどこなのかということが大事になってくる。そういう意味でも美術は大事ですよね。例えば、会議室でやったっていいんです。それは会議室という美術だから。そうすると、「なぜ、会議室にするんだろう?」って。そこには「なぜ」が必要になってくる。
美術の方とはどのようなプロセスで決めていかれるんでしょうか?
美術家は美術家の仕事がありますから、そのアイデアが出てくるのを待っていますね。こちら側からはイメージを説明して。でも、そのイメージだけをそのまま形にするのであれば、美術家はいらないわけで。僕の作りたい世界に「こうなんじゃないか」って更なるアイデアをもってくる。そして、何回も話し合って答えを導き出すんです。

長塚さんが思っていた方向と全く違う方向に行ってしまうこともあるわけですよね。
時には。でも、自分の頭の中にある世界とその美術家の世界が合致すると、すごく面白いですよ。※2二村さんとはそういう相性が良いみたいです。※3「sisters」という舞台でも、僕が色々と具体的に考えていたところに、思わぬ写真をポンと「これはどう?」と持ってきたんです。これまでの考えを一旦白紙にして、この発想からスタートしようってことになって…。その時に彼が持ってきたのは、使えなくなって取り壊される前のマンションにアーティストが入って、部屋を切断した写真だったんです。その切断というのが面白くてね。イメージがどんどん膨らんで、じゃあ具体的なことをとプロデューサー、舞台制作者、舞台監督とで話していく…そんな流れでした。

※2二村さん・・・二村周作さん

武蔵野美術大学空間演出デザイン科卒業。その後、舞台美術家 島川とおる氏に師事する。 2000年より文化庁芸術家在外研修員として2年間、ロンドン、チューリッヒにて研修。その後、舞台美術家レズ・ブラザーストンの下で学ぶ。長塚圭史さんの作品では、『アンチクロックワイズ・ワンダーランド』『アジアの女』『sisters』の美術を担当。第32回伊藤熹朔賞新人賞を『GOOD』『見よ,飛行機の高く飛べるを』『ヒトノカケラ』などで受賞。


※3 「sisters」・・・2008年7月5日(土)~8月3日(日)に渋谷のパルコ劇場で公演。キャストに松たか子、鈴木杏、田中哲司、中村まこと、梅沢昌代、吉田鋼太郎を迎え、「家族」をテーマに、物語の伏線とも思わせる、奇妙で深く洗練された台詞が話題となった。イギリス留学前の最後の作品。


新しい何かが生み出されている「今」を共有できる場所

横浜でお気に入りの場所はありますか?
実は、本当に疎遠な場所なんです。これから「浮標」で1ヶ月2ヶ月、通うことになるから楽しみですね。劇場では、僕らも「ああでもない、こうでもない」と作品を作っていく場所なので、何かがそこで作られているという空気がワッと立ち込めている空間になればいいなと思うんです。何かを表現したいと思う人たちが集まり、自由にディスカッションできるスペースがある。そこに行けば新しい何かが生み出されている「今」を共有できる場所。人々の創造力や生きる力を後押ししてくれるパワーがあるというのが理想ですね。
敷居の高いイメージがなくなるといいですね。
そうですね。劇場が、演劇を見る・見ないに関わらず、時間があったらふと立ち寄れる気軽さがあるといいですね。ロンドンのナショナルシアターとかは、芝居なんて見ない人も人が集まって、そこがたまり場になっているんですよ。優等生的な発言かも知れないですけど、神奈川芸術劇場が本当にそういう人を寄せつける場所になってくれるといいなと思っています。
市民が自由に行き来できるようなしかけがあるとうれしいですね。
埼玉の劇場で稽古をしたときに、すごくいいなと思ったのは、カフェがあって、近隣の人たちもそこを使ったりしているんですよ。僕らは稽古場で稽古をしているんだけど、時々、そのあたりでふらふらしているんです。お客さんもいるし、俳優もうろうろしているし、スタッフもいて、そこに壁がないんです。俳優を知っているお客さんは「俳優の誰々だ!」って思って見ている人もいるかも知れないけど、あまり気にならないんですね。開放感があるんです。そんなふうになってくるといいですね。

その日にそこに行けば、何かが公演されていて、何かを見ることができるという劇場になるといいですね。
そうですね。それには安定した公演が行われているってことが前提条件になってくるんだけど。1週間で終わっていくような公演と、1ヶ月も2ヶ月も長くやっている公演もあって。色々なものがあって、しかもきちんと継続されていくといいんじゃないですかね。

2010年11月 東急Bunkamura(渋谷)にて