情報誌

9 月号/ 2011

インタビュー「現代美術アーティスト さとうりさ さん」 インタビュー

12.04.09

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現代美術アーティスト
さとう りさ 氏

RISA SATO

プロフィール

72年東京生まれ。
99年 東京芸術大学大学院修了。立体作品、デザイン、絵本制作などで活躍。2005年
愛・地球博アートプログラム『幸福のかたち』に出品。昨年に続き、今年も「黄金町バザール」に出品している。横浜市中区在住。

◆さとうりささんHP


(イベント情報)

bazaar2011top-baner02.jpg - 会期 -
8月6日(土)-11月6日(日)
※昼間の会場:11:00-19:00 夜の会場:日没〜0:00

- 休場日 ー
8~9月の毎週木曜日、10月13(木)、10月27日(木)

- 会場 -
京急線日ノ出町駅から黄金町駅の間の高架下スタジオ、周辺のスタジオ、既存の店舗、屋外空地、他

- チケット -
黄金町バザール2011 会期中有効フリーパス(一部無料会場有り)
当日高校生以上 500円/中学生以下 無料

- 問合せ -
NPO法人黄金町エリアマネジメントセンター
電話045-261-5467
詳細はコチラ


【特別連携セット券】
「黄金町バザール2011」(黄金町エリア)のほかに、ヨコハマトリエンナーレ2011メイン会場(横浜美術館、日本郵船海岸通倉庫)や、ヨコハマトリエンナーレ2011特別連携プログラム「BankArt Life Ⅲ」(新港ピア)も鑑賞できるお得なチケット。
一般:当日1,800円
大学生・専門学校生:当日1,200円
高校生:当日700円

チケットの詳細はコチラ



横浜の街は

横浜に移り住んでみていかがですか?
東京生まれで、ずっと埼玉に住んでいました。
二年前に横浜に移ってきました。それまで横浜とは縁がなかったのですが、住んでみると、横浜の街は、いろいろな顔を持っている盛りだくさんな街だと感じています。
とりわけ私たち、アーティストにとっては発表の機会がふんだんにあふれていて生活しやすいですよ。象の鼻パークや、BankArt(日本郵船海岸通倉庫)、関内のギャラリーなど、アーティスト同士の交流の場も、家から出かけやすい近所のあちこちで頻繁に行われるので、とても楽ちんです。
どうして横浜に住むことにしたのですか?
埼玉に住んでいるときに、自宅はものをつくる作業をする場でもあるものですから、大家さんとうまくいかなくなってしまいました。どこかアーティストとして生活しやすいところに引っ越したいなと考えていたら、
アーツコミッション・ヨコハマがアーティスト向けの物件を紹介してくれる「芸術不動産」という制度を持っていることを知って、これだ、と飛びつきました。紹介してもらった物件がすぐに気に入って早速、引っ越しました。今の大家さんはとても私の仕事に理解があって、仲も良く、声をかけあって快適に生活しています。
本当に横浜に越してきてよかった。
「黄金町バザール2011」のために黄金町で滞在制作されましたが、黄金町という街はいかがでしたか?
黄金町には何か特別なパワーがありますね。
「黄金町バザール」に昨年に続いて今年も出品するため、8月の間、黄金町の高架下のスタジオに通って、公開で制作をしたのですが、街の濃厚なパワーに圧倒されて負けてしまわないように、普段の自分でいられるようにと心がけていました。
今年の「黄金町バザール」は「ヨコハマトリエンナーレ2011」の特別連携プログラムという位置づけですが?
大きな国際フェスティバルである「ヨコハマトリエンナーレ2011」との関係は、少し意識しちゃいますね。
どこかでライバル意識も感じてしまいます(笑)。同じ横浜の中で、みなとみらいという街から発信する「ヨコハマトリエンナーレ」、黄金町からの「黄金町バザール」、それぞれ特色がありながらも、お互いに何らかの影響を感じながら、横浜全体があちこちでアートの機運に満ちているような、そんな状況になりつつあり、なかなか刺激的ですね。
黄金町の魅力を教えてください。
黄金町の特色は「バザール」をはじめとして、街の変化に呼応し、常に様々な展示やイベントが企画されていることでしょうね。
日々変化する街の隙間にアーティストたちが入り込んで、いつもうごめいている。黄金町はそんな捕らえどころのない生き物のような魅力があります。

フランスでの滞在で得たもの

5月にはフランスで個展を開いたのですね?いかがでしたか?
パリ郊外の古いお城に、二ヶ月近く滞在して制作してきました。
お城の中に住居エリアと制作スタジオがあるのです。様々な国のアーティストたちと同時期に滞在しました。言葉での主張は大事だと考えてはいるのですが、さすがにフランス語でのコミュニケーションはハナからあきらめて、制作に専念できたのもかえって新鮮な体験でした。それでも資材の調達など、全部自分でしなくてはならなかったので、悪戦苦闘だったのですが。自転車で出かけて行って、建設関係の資材屋さんとなんとか苦労して交渉したり。必死な思いは伝わるのか、協力してくれてうまく材料が運ばれて来たときは嬉しかった。
どんな方に作品を見てもらえたのですか?
日本よりももっと幅広い方が気軽に覗きに来てくれました。
親子連れや老夫婦など。フランスのほうが、アートが生活の中に当たり前のものとして根付いているように感じました。
今後の制作活動や作風に影響はありそうですか?
すぐに直結してなにかの結果に影響するものではなく、何年か経ってみると、ふと「もしかしたらあのときの体験がこういうふうに影響したのか」と気づくものなのじゃないかと思います。
海外での体験に限りませんが。でも海外と日本を行き来することは、自分の置かれる立場や視点が変わるので、自身の作品や性格をより客観的に見ることができる気がします。そして今回は一緒に滞在した他の国のアーティストたちも日本に注目している時期だったので、いろいろと質問を受け、考えさせられることが多かったです。

手を動かしているのが好き

小さい頃からアートに興味はあったのですか?
父の仕事柄、家では模型や図面、スケッチをよく目にしました。
休みの日には弟も連れて3人で写生に出かけました、弟はすぐに飽きて遊びだしたりしていましたが、私は好きでしたね。ひとりで絵を描いているのが好きでした。架空の文字を懇々と書き続けたり。とにかく手を動かしているのが好きでした。小学三、四年生のころは友達と漫画交換日記なんてものもやり取りしていました。漫画で身の回りのことやなんかを描き合いっこしていたんです。当時の作風はギャグ漫画系でしたね。けっしてラブ・ロマンス系ではなかった。懐かしいですね。学生になってからは父から製図道具や絵筆などを借りた覚えがあります。自由にやらせてもらっていたんだな、と今はありがたく思っています。
いつごろアーティストになろうと思ったのですか?
高3の秋になって美大に行こうかと思い始め、まわりから「遅すぎる」と言われました(笑)。
そして浪人して美大に入り、アーティストになろう、自分の作品をつくりだしたい、と思い始めたのは大学院の卒業間近になってからですね。そうそう、写生を嫌がっていた弟もアートのマネジメントの仕事に就いており、例の漫画交換日記の相手も美大に行ったという噂を聞き、驚きました。

「つくる」ことの大事さ

アーティストになる、というのは、どういうことなんですか?
アーティストになるというのは、自分がアーティストだと言い続けることです(笑)。
誰かが認定してくれるわけではないですからね。アーティストになろうという動機は、もしかしたら「つくる」という行為から自由を実感したときに始まるのかもしれませんね。時々、迷うことがあっても「自分の中の”つくりたい”という欲求、そしてそれを応援してくれるひとたちをまず信頼しよう」というところに立ち戻ります。というとなんだか潔いですが、実際にはそこに「すがる」ような気持ちでいることのほうが多いですね。
「つくる」というのは?
0から1にすることが一番大きなエネルギーの動きだと思うのです。
目に見えないものを見えるようにすること。とても大変だけれども、そこに意味があると信じようと思います。見えないままにずっと悩んでいることが何かのためになっているという考え方もあると思いますが、自分を動かすためにも、悩んでいるだけではいけない、「つくる」ことをしよう、形にしよう、と言い聞かせています。

震災の恐怖から立ちなおるために

東日本大震災のときは横浜にいらしたのですか?
ええ、怖かった。大家さんと声を掛け合って恐怖に耐えました。
過去の作品(愛・地球博2005 アートプログラム「幸福のかたち」に出品した”player alien”)で突発的に「失う」「奪われる」ことに対する強烈な恐怖心を題材にしたことがありました。今回の震災が起きて、その恐怖が現実のものとなったために、大きな打撃を受けて、じつはなかなか立ちなおれませんでした。
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さとうりさ”Kohachi Infiorata”2011 Photo: Yasuhiro Oga

どうやって立ち上がったんですか?
とにかく「つくる」ことをしていればだいじょうぶだから、と必死に自分に言い聞かせて動き始めました。
それは今年の「黄金町バザール」の作品プランにも影響していますね。過去にやったことのない量の手作業をしてやろう思いました。うまくいくかはわからなくても、今の自分に必要な課題だったんです。おかげで毎日、登山をしているような気分です。(笑)
震災後に何かご自分の変化はありましたか?
作品の評価を見る人や置かれる街に委ねよう、と今まで以上に思うようになりました。今回の作品も、黄金町の町や環境や見に来てくれた人によって変化していくことをあらかじめ受け入れるような、ゆるい、いくらでも変化していくもの、としてあり続けてほしいと思っています。作品は、私がこの世に生み出してからは、私の手から自由に離れて歩いていって、愛されてほしいな、と願っています。
2011年6月23 日さとうりさ さんのアトリエにて